川成島藩(かわなりじまはん)は、駿河国富士郡川成島村(現在の静岡県富士市川成島)にあった藩である。


旗本の本郷氏が川成島を代々支配していた。

本郷氏は若狭大飯郡の出身で室町幕府の奉公衆であった。戦国時代には織田信長や徳川家康に仕えていたといわれている。

江戸時代末期の安政4年(1857年)、本郷泰固(ほんごうやすかた)は側衆から若年寄に昇進したため、所領を7000石から1万石に加増され、川成島藩が立藩した。

とはいえ、財政難が続いており、泰固は職務怠慢を理由に安政5年(1858年)に5000石没収の上、若年寄職を罷免された。翌年10月27日には改易され、川成島藩は廃藩となった。

たった1年で消滅した、幻とも言える藩である。

本当の理由とは

本郷泰固が最終的に改易にまでなった原因は表向きは一応職務怠慢とあるが、その実態は、江戸幕府十三代家定の後継者を巡って争われた将軍嗣子問題において、泰固が一橋派についていたためと言われる。十四代家茂将軍のあと、一橋慶喜が十五代将軍になってからは隠居謹慎のお咎めは許されたことから、この可能性が高いと考えられる。

富士宮市との関係性

なお、本郷泰固によって、川成島陣屋が現在の新富士駅の南側に築かれていた。駐車場地帯に陣屋があった模様で、現在も水路の一部に側溝の遺構が見て取れるようである。(ただし、駅南の開発で2021年9月現在、遺構は未確認状態)

陣屋の入り口として、立派な長屋門も構えていた。しかし前述の通り半分没収、罷免、そして改易、廃藩となってしまった悲しい運命をたどった中で、この陣屋の所有権は本郷家の御用人だった和田家に移った。さらに、和田家の親戚の遠藤家に所有権が移っていった。

この遠藤家というのが、富士宮市で料亭高しま屋を経営していた一家で、この料亭の門として富士市から移築して、令和3年現在は、富士宮市の管理のもとミニ資料館として現在も保存されている。

一時期は、この長屋門を玄関として、その奥側にレストラン施設を建設、富士宮市がプロポーザルにて民間に運営を委託したが、1:「ヴァルナ長屋門」→2:「レストラン長屋門」→3:「ビュッフェレストランさくや長屋門ダイニング」と、3回にわたりオーナーが移転したが1と2は経営不振、3は繁盛店であったがビュッフェ形式であったことが災いした事やそれを運営するための人材の確保の課題などから2020年末に閉店となった経緯がある。

長屋門写真(富士宮市公式サイトより)